真冬に咲く花


 気がつけば雨はやんでいて、カーテンの隙間から角度の低い日光が部屋の奥のほうまで差し込んできている。トラックのものらしきエンジン音と、その車輪が水たまりの水をはね散らかす音が同時に耳へ入ってくる。僕は太ももにその柔らかく暖かなエネルギーを感じながら、あ、と呟いた。そしてため息をつき、今さら遅いよ、と言の葉を漏らす。僕は裸だった。



 いくつか問題はある。裸であることはもちろんトップ・オブ・トップ問題であるけれど、服を着れば解決するだけの簡単な話だ。それなのに僕がため息で乳毛を揺らしているのは、着る服がないことに原因がある。洗濯していないのだ。パンティーや靴下といった最も優先されるべきベーシック・布地はもちろんのこと、シャツも手持ちのものは全てここ一週間で着てしまった。ズボンはまあ、洗っていないものでも履けないことはない。しかし一度身に着けたベーシック・ファブリックとシャツ的ファブリックを再度装着することは僕のポリシーに反する。一期一会。僕の座右の銘だ。これまで徹底して貫き通してきた。苺だって二つ以上食べたことはない。その僕がどうして一度愛したパンティーやその他布類に二度巡り合えようか?



 洗わなければいけない。そう思っていた。しかし昨日の朝から降り始めた雨のせいでそれが叶わなかった。ちょうど連休だし、冬だし、風呂にも入らずのんべんだらりと家で過ごすか。そう思っていた。しかし今日の朝にかました寝小便のせいでそれが叶わなかった。僕は衣類を全て脱ぎ、シャワーを浴びざるを得なかったのだ。そしてついさっき、雨がやんだ。



「アメガヤンダ!」



 僕は叫んだ。「ツイサッキ!」と続けた。しかしパンティーはなかった。



 さて、と腕を組んで考える。三月とはいえまだまだ冬、室温は低い。このまま裸体で朝の寒気に晒されていては、ほぼ間違いなく風邪が僕を慈しむだろう。とりあえず上半身だけでも、とクローゼットに残った最後の一枚を着た。「緑茶」という字が茶色でプリントされた、白地のティーシャツだ。緑茶なのに茶色とは、ガッツがある。そのガッツが僕を風邪から守ってくれクション。くしゃみと同時に鼻水を豪快に放った僕は我が目を疑った。鼻の穴から伸びた粘っこいジェルがティーシャツに付着して橋を形成していたからだ。日光がそのアーチを演出して、きらきらと輝かせていた。ゴッシュ、と二回目のくしゃみをしたときには、緑茶ティーシャツはその名のとおり緑色に染まっていた。僕は彼を脱いだ。こうして僕を覆う衣類はなくなった。



 僕は洗濯籠を見た。一週間以上にわたって僕が着た、代々のパンティーや靴下やシャツなどが山盛りになっている。なぜ小まめに洗わないのか、と叱責する人がいるかもしれない。しかし僕は、洗うときは全ていっぺんにと決めている。この素敵な布たち全てを愛しているからだ。仲間外れになる布があってはいけない。決してずぼらなわけじゃない。なあ、お前ら。山のてっぺんにある黄色く染まったパンティーが、僕の股間をすり抜けた日光に反射して光った。美しかった。彼は僕に何かを伝えようとしている。いや、伝えようとしているのではない。僕が忘れてしまっている大切なことを、ほのかなアンモニア臭によって思い出させようとしているのだ。



「あ」と思った。僕が漏らした幾ばくかの小便は、今こうしているときも気化し続けている。



 出窓へ駆け寄り、手を伸ばしてガラララ、と勢いよく開ける。ブッシュ、と三回目のくしゃみが出る。そんなものはもう気にしない。風邪でもなんでもひけばいい。CDプレイヤーのスイッチを押し、音楽を流す。外国の古いロックンロールだ。刻まれるビートにのせて、僕は踊りだした。性器と性毛とその他もろもろの毛をリズミカルに揺らし、音楽に身を任せた。「アメガヤンダ! ツイサッキ!」と歌った。依然パンティーはなかった。しかし不安もなかった。パンティーたちは洗って乾かせばすぐ僕のもとへ戻ってきてくれる。僕はそれを待っていればいいだけの話なのだ。カーテンが風にあおられた。通行人と目が合った。「ションベンモラシタ!」と僕は叫んだ。「ツイサッキ!」と叫んだ。通行人も叫んだ。たとえようのない一体感が裸の僕を包み込んだ。