トリップ・ダンサー
僕が一番好きなパンティーの色に春を彩っていた花が散り、季節はようやく衣替えを終えた。半袖で外を出歩いたとしても、昼間ならちっとも寒くない。夜は少しだけ冷えるけれど、誰かと肩を寄せ合えばむしろ暖かい。生まれてこのかた十数年、こんなにも春の到来がきらびやかに思えるのは初めてのことだ。僕は今まさに、春の矢面に立っているのだ。「それは違うな」とおじいさんなら言うだろう。「矢面に立つ、というのは批判を受けるときなんかに使う言葉じゃ。今の君は、そうじゃのう、春にモテモテになっているとでも言えるか」とも言うだろう。おじいさんには? と僕が問えば、「もちろんモテモテよっ」と片目をつぶり不二家的舌の出し方でもっておどけるはずだ。矢でも鉄砲でも元寇でも持ってこい、と僕は思った。
とにかくパークだ。僕は立ち上がった。どうしようもなく桜の花びらを撒き散らす春の風に乗って、あの人に会いに行くのだ。外に出る。いい匂いのする晴れの日だ。久しぶりにボートに乗るのもいいかもしれない。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンとかなんとか言いながらオールを独占し、好き勝手漕ぎまわした挙句池の中腹部で転覆、「もう、ヘタクソなんだからあ」とおじいさんにコツンと頭を叩かれるのだ。想像するだけで顔の筋肉がゆるむ。足の筋肉もゆるむ。転ぶ。電柱に額をゴッツする。それでも僕は笑って走り続ける。
「パーク。」
そして僕はあの「D・スポット」、公園にやってきた。全力で走ってきたため呼吸が激しくなっているが気にしない。いつもより多く春の空気を吸えるぶん、むしろ心地よいくらいだ。デートを楽しんでいるカップルがちらほら見える。数ヶ月前の僕なら「彼らは何をやしてるのぞや」と訝しんだろう。しかし現在の僕はもうデートを知っている。ボートに乗り、お茶をする。それがデートだ。大きくなったものだ、と自分でも思う。僕が一番好きなパンティーの色の花びらをこころもち残した木々を見上げながら、僕はおじいさんのいるボート乗り場へ急いだ。
「いらっしゃい」
池のほとりで僕を迎えたのは茶色い縁のめがねをかけた、髪の長いお姉さんだった。もちろん知らない人だ。受付におじいさん以外の人が座っているなどと思いもしなかったので、僕は固まった。足の筋肉も固まった。転んだ。どこに額をゴッツしたのかはよくわからない。とても痛い。
「だいじょうぶ? きみ、見たところ中学生くらいみたいだけど、一人で来たの?」
お姉さんは受付小屋から出てきて僕を立ち上がらせてくれた。僕はアワーワウワイワというような音声を発した。口の中にできたてのふかしいもが丸々一個詰められているみたいに舌がうまく動かない。日光によって撫でられた彼女の肌がやたら白く、まぶしかった。
「迷子――になる歳でもないよね。ぶつけたところは大丈夫?」
ダイワハウス、と僕は口走った。大丈夫です、と言ったつもりだった。お姉さんは少しだけ困った顔をした。お手と言ってるのにチンチンをする犬を見たときの目だ。自分は怪しい人間ではない、と彼女に伝えなければいけなかった。とりあえずチンチンを出さないように股間を手で覆った。そしてオヨメサンバと言った。もちろん「おじいさんは?」と訊くつもりだった。彼女はふふ、と笑った。おじいさんが見せる笑顔とよく似ている。胃の横の上の奥が急に縮んだような気がした。ざあと風が吹きつける。お姉さんは髪をおさえた。スカートがひらめく。
僕が一番好きなパンティーの色のパンティー。それは一瞬のことだった。春の色。青春って、なんで青い春と書くんだろう。僕にとって青は夏だ。春じゃない。春は桜だ。桃色だ。桃春というべきじゃないのか。間違っている。世の中は間違っている。正しいのは僕と、僕の目に焼きついた僕が一番好きなパンティーの色のパンティーと、彼女と、それらを優しく抱くこの世界と、つまるところ、何が間違っているかなんて青二才の僕にはわからないのだ。ああ、と思う。おじいさん、僕は何かわかったような気がする。デートとかナンパとか、そんなことよりも大事な何かに少しだけ触れられたような気がするんだ。
「やだ! 見たでしょ、もう!」
お姉さんに肩を叩かれ僕はなすすべもなく池に落ちる。水は冷たい。でも苦しくはない。ゆらゆらと揺れる、向こう側の太陽をぼうっと眺める。もう少しすればあの人が手を差し伸べてくれるのを僕はわかっている。鯉が僕を見ている。僕は恋をしている。
「TRIP DANCER」
from 『Please Mr.Lostman』, the pillows' 7th album.