ペーパームーンにこしかけて

 
 びゅうと風が、暖かさの残る空気をひとまとめにしてどこかへ連れ去ってしまい、こうして夜がやってくる。僕は首をあげ、空を見た。星が弱くまたたいている。オリオン座はいつでもオリオン座だ。僕はオリオン座を見ると反射的に数学の図形問題を連想する。だから僕にとってオリオン座はオリオン座というよりも数学の図形問題座なのだけれど、そのことを人に話しても理解は得られない。「バッカかおめえ、ありゃ数学の図形問題座なんかじゃねえ、右肩をクイっとあげてキメのポーズをとってる80年代後半のダンサー座だ」と言われたこともある。そう断言されると、ダンサー座に見えなくもない。結局星座なんて、見る人によってがらりと変わってくる種の座なのだ。星の配置は固定されているのに、脆い。


 だから僕がこうしてマンションの廊下で正座させられていたって、まあ一般的には「悪さをして親に怒られ家に入れてもらえないどころか廊下で正座させられている男の子」に見えなくもないだろうけど、そんなのはあくまで“一般的”なものの捉え方だ。夜空を彩る無数の星たちだって、オリオンだったり図形だったりダンサーだったりする。僕が「悪さをして親に怒られ家に入れてもらえないどころか廊下で正座させられている男の子」であると、この世の誰が言い切れる? 言い切れまい。そもそも僕はもう二十歳だ。男の子なんて呼ぶべき代物じゃない。男の人だ。男子じゃない。男人だ。ダンジンだ。


「あら、こんなところで正座して。どうしたの? 悪さしてママに怒られたの?」
「こんにちはお隣の加藤さん」


 買い物帰りの加藤さんは、にっこちと笑って(唇の端っこが切れて血が滲んでいるので、“にっこり”とはとても形容できない)、「こんばんは、よ」と言った。そうだった。夜なのだ。


「空を見てるんです」と僕は言った。
「空?」加藤さんは唇の端っこを舌でなめながら後ろを向いて空を見た。
「星が見えるんです」
「今日はたくさん見えるわね」


 加藤さんはそう言って、しばらくそのまま星を眺めていた。さらりと髪が揺れた。スーパーのビニール袋がかしゃりと音をたてた。お隣さんとはいっても、彼女がどういう人間なのかは知らない。20代といわれればそんな気もするし、40代といわれても別に反論する余地はない、年齢不詳な雰囲気を醸し出す女性だ。さすがに60代なんてぶっちゃけられると「いやいやいやいや」と首をフクロウみたいにぐるぐる回転させながら否定するけど、彼女の口から「本当なのよ」と聞かされれば、あ、そうなんですか。納得してしまうだろう。そんな人だ。会うときはいつも買い物帰りで、必ずフランスパンのはみ出た紙袋を抱えている。実はフランス人なのかもしれない。


「あの星座」僕はオリオン座を指差して訊いてみた。「あの星座、なんの形に見えます?」


 加藤さんはスーパーの袋とフランスパン袋を廊下に置いてから僕のひとさし指をちょこんと触り、「びよーん」とか言いながら指の延長線上にあるオリオン座にむかって腕を伸ばした。そしてまた、しばらくのあいだ空を眺めていた。僕も彼女と同じ空を見上げていた。飛行機が80年代ダンサーの股間のあたりを横切りながらチカチカと光を発していた。レ・ヒワイ。僕はフランス語で思った。


「私ね、あれは」と加藤さんは言った。
「はい?」と僕は声を裏返した。
「こうやって腰に手をあてつつ星を拳銃で撃とうとしている私座」


 彼女は80年代の漫画によくあるシーンみたいな仕草で「バン!」とか言いながら80年代ダンサーの股間を撃った。サロン・ド・ヒワイ。僕はよく意味もわからずフランス語を駆使した。年齢不詳の女性がダンサーの股間を狙う様子は確かにヒワイではあったけれど、そこには何かしらの美しさがあった。触れてはいけない。写真におさめても意味がない。ただ今、こうして見ることしかできない。だからこそ美しい“何か”だ。


 僕は立ち上がった。長時間の正座のせいか足が痺れていて、フランスパンみたいに硬く感じた。震える足をなんとか肩幅に広げると、腰に左手をあて、右手をすぅと伸ばし、僕は空に狙いを定めた。片目をつぶって見るオリオン座は心なしかいつもより輝いて見えた。もう図形は見えなくなった。ダンサーもどこかへ行った。


「こうやって腰に手をあてつつ星を拳銃で撃とうとしている僕座でもありますね」
「少年よ大志を抱け座でもあるわ」

 
 ここで流れ星でも見えればどことなくドラマティックなのにな、と僕は思った。でも当然都会の夜空に星が綺麗な線を引くはずなんてなかった。視界に入るのはオリオン座と思われている星座といくつかの明るく孤独な星と薄い雲のうしろで控えめに自己主張する月くらいで、これはこれでドラマティックといえなくもない。「コマンタレドラマティック」と僕はフランス語で呟いた。加藤さんはくすりと笑って肩をゆすらせた。


ホワイト・インカーネイション
ペーパームーンにこしかけて」
from 『WHITE INCARNATION』 , the pillows' 4th album.

ウィ・ハブ・ア・テーマソング


 夢とか希望とか輝く明日とか、考えただけで反射的にすかしっ屁をかまして反射的にセルフにぎりっ屁をやらかして反射的に気を失ってしまうほど嫌いな言葉であるが、僕はここのところ毎日、反射的に気を失っている。朝起きて、枕カバーにべっとりと付着したキプロス島の形のヨダレに朝日が反射しているのを見て失神し、昼は風がもみあげを揺らすたびに失神、夜は毎分失神する。意識のない時間のほうが多いのではないかと思ってしまうくらいだ。不思議である。僕は夢とか希望とかやまない雨はないとか、根拠のない前向きな言葉がとにかく嫌いなのだ。それなのに四六時中意識不明とは、嫌い嫌いも好きのうちとかそんな生易しい次元じゃない。友人に、夢うんぬんのことはうまく誤魔化しつつ、「今、ちょっと困ってるんだよね」と相談してみたら、彼はオロナミンCのCM撮影に励む俳優のように歯を輝かせ「大丈夫だよ、明日になればきっと治るさ」と言い、僕はというと、そのアドバイスを聞いた瞬間、リポビタンDのCM撮影でリテイクをくらった俳優のような顔面をして失神した。


 どうすればいいだろう。このままではいけない。道を歩いてるときに失神してみろ、シニアな方が運転する自転車にはねられてしまう。風呂に入っているときであったら溺死だ。自慰行為に励んでいたら不完全燃焼だ。風呂の中で自慰行為だったら不完全溺燃焼死だ。まずすぎる。僕は考える。「夢とか希望とかイージーカムイージーゴーとか考えないためにはどうすればいいだろう」と考える。考える。放屁。にぎって暗転。どうしようもない。解決法を模索することすら簡単にはいかないのだ。無我の境地に達するほかないのだろうか。一介の俗世人が一朝一夕に到達できるわけないとは思うが、そうしなければいつか僕は大事な場面で失神してしまう。


 禅。禅だ。座禅を組むのだ。雑念が入ってしまった場合に喝を入れてくれる坊主はいないが、喝代わりにセルフサービスで失神できるのだから、まあ良いだろう。ある意味お手軽な座禅である。目を閉じる。コオロギの鳴き声が聴こえてくる。それともスズムシだろうか。どちらでもいい。無数の虫による、楽譜のない合唱。僕は観客席で独り、その美しい調べに酔う。じつに秋的に、静かな夜だ。こうしていると、無我なんて結構簡単なことなんじゃないの、とか思えてしまう。坊主は山の中で修行をしているのだから、こんな住宅地よりも豪華な演奏会を毎日耳にすることができるのだろう。楽じゃないか。そんなことを言ったら坊主に怒られるかしら。いや、怒らないだろう。怒る坊主は坊主じゃない。坊主はいつだって柔和な笑みを浮かべ「信じればきっと救われます」とか言うべきなのだ。信じればきっと救われる。すかしっ放屁。握る。嗅ぐ。喝。


 座禅体勢のまま後ろへ倒れているのに気づいたのは数分後だった。駄目だった。無我の境地に至れなかった。無我れなかった。打つ手がない。僕はまだ、風呂に入ってないし自慰も済ませてないのだ。不完全溺燃焼死してしまう。スズムシやコオロギは、危機感に駆られる僕のことなんか知ったこっちゃないといったふうに、ただただ歌い続ける。気楽なものだ。彼らは夢とか希望とかさあ一歩踏み出そうよとか、そういう前向きタームを考えることなんてないのだろう。ただ歌っている。それだけでいい。むしろそれが彼らにとって生きることなのだ。歌、と僕は思う。歌か、と僕は呟く。歌えばいいんじゃないか、と僕は失神スレスレの前向きな声をあげる。


「あ、あ、あ」


 声を調整する。「あ〜〜」と声を裏返して伸ばしてみる。「ドゥビドゥワ〜〜」と黒人女性コーラスグループの真似をしてみる。調子がいい。こんな僕を後押ししてくれるのか、スズムシやコオロギたちの透き通るメロディーに重なって、酔っ払いの歌声も聴こえてきた。とんでもないだみ声で、歌の内容も姉ちゃんイッパツどうグヘヘみたいに下品極まりないものだったけれど、今の僕には最高の応援歌のように思えた。そうか、家路の途中で失神して寝ゲロして寝ゲロに溺れて死んでしまう酔っ払いが少ないのは、彼らが歌を口ずさんでいるからなのだ。歌。ミュージック。僕は確信する。もう迷わない。


 脱ぐ。シャツを脱ぐ。ズボンを脱ぐ。パンツを脱ぐ。靴下を脱ぐ。乳毛を少しだけ弄ぶ。勇んでバスルームに向かう。シャワーの前に立つ。息子も立つ。不完全溺燃焼死の不安が少しだけ頭の隅っこをかすめる。換気扇の通風口から、控えめに届いてくる酔っ払いとスズムシとコオロギの三重唱。大丈夫さ。大丈夫。君らの助けがなくても、僕は一人でシャワーを浴びながら自慰してみせる。息を吸い込む。吸い込んでから、何の歌を唄うのか、決めていなかったことに気づく。何でもいいのだ、と思う。今の自分から、自然に湧き出てくる思いを歌にすればいい。息を吐く。蛇口をひねる。息子を握る。さあ、行け。夢や希望を忘れ去るために、唄え!


夢とか希望とか輝く明日なんていうけど
そんなの、俺には全然関係ないぜ!


関係ないんだぜ、薄れゆく意識の海を力なく漂いながら、それでも僕は唄いつづけた。


Another morning Another pillows
「We have a theme song」
from 『Another Morning,Another pillows』
the pillows' B-side best album.

バック・シート・ドッグ


 何度チラ見てもバックミラーには後部座席に座っている犬。「おはようございます」「おはようございます」「奥様のワンちゃん、可愛らしくいらっしゃってホホホホ」「いえいえ奥様のワンちゃんこそ賢そうな顔面でオホホホホ」などと井戸端会議で話のタネになるようなたぐいの犬ではない。かといって「あっ、ポチっ、そっちにいっちゃだめ、トラックがっ」「あぶないーッ!」「あーっスーツを着たカッコイイビジネスメン風の男の人が颯爽と現れてポチを助けてくださったァー!」「危ないところでしたね」「ありがとうございます、あの、お名前を」「名乗るほどの者ではありませんよ」「アラ素敵」などと恋の予感溢れるワンシーンの小道具として使われるたぐいの犬でもない。むしろそのワンシーンの主役であるスーツを着たカッコイイビジネスメン風の男の人である。でも男の人じゃなくて犬。スーツは着てないがカッコイイビジネスメン風の犬。颯爽と犬。錯綜する僕。


「あああの」と僕。
「なにか」は犬。
「いいいえ、なんでも」
「そうですか」


 そもそも悪いのは僕の友達で、ドライブに行こうと言い出したのは彼なのだ。男二人でドライブなんてやだよそんなシダ植物的行楽、と僕は主張したのだけど認められず予定は立てられ、集合時間が朝五時ということにこれまた僕は反対したのに認められず日程も決まり、いざドライブ・デイ、となったら友人来れない。朝五時に電話で知らされた僕は当然激高、激高しているのだからもちろん激しく甲高い声で友人に抗議した。しかしどうしても外せない用事がどうとかこうとか、代わりに俺の友達を行かすからさ、二人で楽しんでよ、ちょっと待て僕の知ってる人なのかそれおい、いや人じゃない犬。


「失礼ですが――」で犬。
「なななにか」と僕。
「煙草を吸っても――構いませんかな?」
「ええええ、どうぞ、どうぞ、構いません」


 構う。僕は煙草が嫌いである。僕の車も煙草が嫌いである。僕の車の後部座席も煙草が嫌いである。しかし断れない。断れません。僕は犬が苦手なのだ。写真を眺めたり映像を鑑賞したりするのは好きで、むしろ犬イズヴェリー可愛いと思うのだけれど、本物を差し出されるとおののく。おののいて震える。しばらく震えているとおののくのレベルがあがっておのののき始める。なおも震えているとおののののののののあたりで気を失ってしまう。いま、犬は後部座席に座っているので、それほどおののかない。最初、犬は助手席に乗り込もうとし、助手席に座られたら運転中におのののののいてしまう恐れがあるので僕は焦って「いえいえ後部座席が広々としておくつろぎ感満点」とプレゼンテイション、なんとか後部座席に落ち着いていただいた。煙草も吸うとなれば、ますます助手席はありえない。好判断、と僕は思う。グッド判断、と半端に英訳する。


「そういえば――」
「はははい何でしょう」
「今日の、目的地を――聞いてませんでしたな」


 フゥーと吐き出す犬。ウェーとおののく僕。


「えええっとジョン鈴木さんは」
「ジョン、で――かまいません」
ジョジョジョンさんはどこか行きたいところとかありますか」


 カッと目を見開く犬。キャッとおののののく僕。


「どこに行くか――決まってない、と?」
「すすすいません」
「ワン!」
「ひっ!」


 びっくりして急ブレーキ、前のめりになった犬が前のめりすぎてシフトレバーに置いている僕の左手の甲の上に顎をお載せになった。「ちょちょちょっ」ハンドルから離した右手を、漫画のキャラクターみたいな大げさっぷりで「の」の字を描くように僕は回した。小指がドアのどこかにぶつかって不自然な音を立てた。「ハムラビホーテン!」と僕は叫び声をあげたが、左手は動かさなかった。動かせなかった。動かしたら殺ラれル、と片言で思った。一方御犬はというと、御顎を僕の左手にお載せになったまま、そして煙草を御口におくわえになったまま、悠然としている。将棋の対局中、長考する相手を眺めるスフィンクスのように、視線は揺るがない。


「信号――」
「ははははい?」
「信号――赤でしたよ」


 散歩をさせているいぬに引きずられてお爺さんが横断歩道を渡っていた。危ない。もう少しでお爺さんをあの世へいざなってしまうところだった。さっきの「ワン!」は、赤信号を知らせるためのものだったのか。僕は犬を見た。犬はまだ顎を載せている。お爺さんが横断歩道を引きずられきり、しばらくして、信号が青に変わった。僕はレバーを動かした。犬は表情をだらしなく崩して「わおうんヌ」と甘い声を出した。そしてすぐまたスフィンクス的。アクセルを踏む。車体が揺れる。わおうんヌ。スフィンクス。意味もなく左手の指をわきわきさせてみる。わおうんヌ。スフィンクス。わきわきわおうんヌフィンクス。わきわきわおうんヌフィンクス。わきわきわお煙草が落ちる。


「あ、や、これは――失礼」


 犬は名残惜しげに顎をあげ、煙草を拾い、備え付けの灰皿に捨てた。そして後部座席に颯爽と戻った。バックミラーをチラ見るとやはりスーツを着てないビジメスメン風の犬。でもさっきまでとは少しだけ違う犬。なんだかんだで犬。なんだかんだで僕。なんだかんだで犬と僕。


HAPPY BIVOUAC
「Back seat dog」from 『HAPPY BIVOUAC』
the pillows' 10th album.

ビューティフル・モーニング・ウィズ・ユー


 ヒトが眠りにつく瞬間ってのはいつなのかしら、ふと思った僕は、ベッドでうつぶせになり(寝るときの作法として当然下半身は露出してある)自分が眠りにつく瞬間を心待ちにしていたのだけど、いつの間にか3時間ものタイムが消費されていて「むう」と思った。このままもぞもぞしていたら夜が明けてしまう。ヒトは夜に眠らなければいけないのだから朝になったら眠ることができない。眠らないまま朝になったら目覚まし時計がアイデンティティの喪失を嘆いて「俺は、なんのために、今まで」と泣き叫んでしまうだろう。目覚まし時計の名誉のために、ヒトが眠りにつく瞬間を目撃するのは後日、ということにして、僕は眠らなければならなかった。


 午前3時。深夜だ。深い夜だ。どのくらい深いのかしら、ふと僕は思った。いくら夜が深いとはいっても、寝ているあいだに溺死するほど深かったら毎夜毎夜地球人口がゼロにリセットされてしまって色々と困った事態になる。おそらく首から上は出せるくらいの深さだろうな、と僕は推察した。当たらずも遠からじ、といったところだろう。筋道だてて考えれば、いくら知識が不足していようと、それなりに真実へ近づけるものだ。この間学校の帰り道で、とある家の塀からびよよんと飛び出している柿の木の枝を発見したときも、「どうやれば、柿の実を得ることができるだろう」と筋道だてて考えた結果、塀によじ昇って家の人には無断でとにかくぶん取る、という最善の方法にたどり着き、見事、実を手に入れることに成功した。真実と柿の実、「真」と「柿の」の違いこそあれ、「実」で因数分解できるのだから、同じようなものだろう。真実はいつも手の届くところにあるのだ。


 目を開ける。眠れない。どうしたことだ。少しのあいだうろたえて陰毛を七、八本むしりとってしまうが、僕はすぐに落ち着く。なぜ自分が眠れないのか、そんなことは筋道立てて考えればすぐにわかることだ。指と指のあいだに挟まった陰毛を、扇風機から送られてくる風の流れにそっと乗せる。陰毛まっすぐ僕の目へ眼球へ眼球の表面へ。痛い痛いこれはなんというかしなやかに痛い。しぱぱぱぱぱ、と高速で目を開け閉めした僕は、涙を乱雑にこぼしながら、そうか、と呟いた。扇風機だ。扇風機のおやすみタイマーをセットしていなかったから、眠れなかったのだ。おやすみタイマーをセットせずに眠ってしまったら、一晩中扇風機は回り続けてしまい、僕の下腹部は一晩中じっくり冷やされてしまい、ひとかどの下痢になってしまうだろう。危ないところだった。


 タイマーをセットする。これで不安はなくなった。すこやかに眠れるはずだ。目を閉じるまえに目覚まし時計を見る。午前4時57分。僕はとてもびっくりする。なんと深い。ごじゅうなな、声に出してみる。深い。深すぎる夜だ。当たり前のことではあるけれど、さっきよりも深度が増している。このままでは溺れてしまう。溺れたら死んでしまう。陰毛むしる。うろたえるな、落ち着け。溺れないように筋道を立てて考えろ。まず立ちあがれ。陰毛は風に流せ。毛が目に混入してこないために身体を反らせ。反らしたら倒れないように踏ん張れ。踏ん張りながら筋道を立てろ。踏ん張りきれず倒れろ。倒れろ? 倒れた。ゴ、と後頭部に硬いものが当たった。


 僕は僕の真上から眠りにつく瞬間の僕を眺めていた。カーテンの隙間が少しずつ白んでいく。僕が見ている僕の顔も少しずつ白くなっていく。カーテン、顔、シーツ、毛布、壁、だんだんと、そしてしっかりと白く。綺麗だ、と僕は筋道を立てて思う。僕が見ている僕は筋道を立てず遺憾な器官を立てている。目覚まし時計が鳴る。5時だ。深かった夜は朝になり、光が深さを吸いとっていく。起きなければ、と思う。手を伸ばす。僕は眠りについている僕の先端に触れる。そして、全てが、白く。


HAPPY BIVOUAC
「Beautiful morning with you」
from『HAPPY BIVOUAC』 、the pillows' 10th album.

ハート・イズ・ゼア


 この世に生を受けてから十数年、ナンパというのをしたこともされたこともない。もちろん、ナンパがどういう行為であるか、そのくらいは知っている。上半身を心もち左側に傾けつつ右手を定年間近のクレーン車のような角度で差し出しながら「ヘイヘーイ彼女、お茶でもしな〜い?」と言えばよいのだろう? しかし、である。方法は知っていても、意味がわからない。“お茶でもしな〜い?”とは、いったい何だ? お茶を、する? お茶は飲むものではないのか? 僕は毎日、食後にお茶を飲んでいる。緑茶だったり紅茶だったり麦茶だったり玄米茶だったり、種類は様々であるが、とにかく飲んでいる。飲料なのだから、飲むのが当たり前だ。しかし、ナンパをするにあたって、お茶を飲むのではなく、しなければいけないのだ。戸惑う。どのように、“する”のだ? 


「誰か、お茶のしかたをご存知の方、いませんか。いたら連絡ください」


 そのようなメッセージを書いたビラを数十枚手書きで作成し、近所の電信柱に貼り付けて回った。知っている人がいれば、連絡がくるはずだ。ただ、これだけでは不安だ。そこで、専門家であったらおそらく知っているだろう、と思い、母が通っている茶道の先生の家には、電信柱だけでなく、玄関全てを覆うようにくまなくビラを貼った。風で飛ばされないようにアロンアルファで貼った。抜け目なく壁にも貼った。インターホンにも貼った。看板にも貼った。「誰か、お茶のしかたをご存知の方、いませんか。いたら連絡ください茶道教室」になった。飼い犬の顔面にも貼った。吠えられた。びびった。走った。逃げた。


「パーク。」


 息もきれぎれに呟く。僕はまた、あの公園にたどり着いてしまった。数多くのカップルが「デート」を楽しむ、いわゆる「デート・スポット」略して「D・スポット」。ついこのあいだまで僕はデートというものを全く経験したことがなかったが、色々あって、ここでデートをすることができた。貸しボートを池に浮かべ、おじいさんと二人で乗ったのだ。あれは素晴らしいデートだった。楽しい時間はあっという間に過ぎるというが、まさにそのとおりで、ちょっとはしゃぎすぎて池に転落したおじいさんを救い出そうと四苦八苦してたらいつのまにか鈴虫の鳴き声が聴こえてきたのだった。ふ、と口元が緩む。あのときのおじいさんったら、錦鯉を吐き出しながら「てへっ、死にかけちゃった」だなんて。

 しかし、と呟く。思い出に縛られているわけにもいかない。僕はデートを知った。そこで満足してはいけないのだ。前に進むべきなのだ。ナンパを知らねばならない。そのためにお茶をできなければいけない。いつまでもおじいさんに頼るわけにはいかないだろう。自分ひとりの力で、道を切り開いていかなければならないのだ。

 まず僕は、あずまやのそばにあった自動販売機でお茶を買った。自力で、お茶を、するのだ。250ミリリットル入りの缶。なぜコーヒーは缶コーヒーと呼ぶのに、缶茶という日本語がないのだろう、そんな疑問が頭をよぎるが、今はお茶をすることに集中する。茶の缶を眺める。どうやら新茶らしい。しかしナンパは年中行われているのだから、新茶か否かは関係ないだろう。続けて眺める。「お茶俳句大賞受賞作」なるものが印刷されている。「服を脱げ 心はいつも そこにある」。とある県の婦警さんの作らしい。「女性には珍しい、はちきれそうなパワーを感じます」などと、撰者の評が載っている。確かに色々なものがはちきれそうになる力をもつ一句だ。しかし、茶になんの関係がある?

 結局自分では何一つわからないまま、時間が過ぎていく。僕はあずまやのベンチに腰かけて、未開封の茶缶を見つめながら、途方に暮れていた。何組かのカップルがきゃあきゃあウヘウヘ言いながら通り過ぎていく。こうしていても仕方がない、お茶を飲んで家に帰ろうと思い缶のタブをおこしたそのとき、一組のカップルが、自動販売機を目に止めた。「なあ、ここでお茶しない?」と男が言った。はっ、と僕は身構えた。ついにお茶をする様子が見れるのか。そして次の瞬間驚く。思わず顎を外してしまうくらい驚く。男が、缶コーヒーを買ったからだ。お茶をすると言ったのにコーヒー。なんでや、とか、お前ちゃうやんけ、とか、お茶せいやお茶、とか、そんな突っ込みよりも、僕の身体、足のつま先からまつ毛の先まで、シピピピピと電流が走った。僕は震えた。震えたので茶がこぼれた。シャツが濡れた。濡れたので脱いだ。カップルの女性のほうがヒャッと言った。男のほうがホッと言った。僕はヒャッホーと叫んだ。

 僕は馬鹿だったのだ。これ以上なく無知だったのだ。物事を表面的にしか捉えていなかったのだ。走る。缶を持ったまま走る。中身が四散する。ズボンが濡れる。わかっている、わかっているんだ。お茶をするとかナンパとか、どうでも良かった。理由が欲しかっただけなのだ。服を脱げ、心はいつも、そこにある。そうだ。最初から僕は、あの人に会いたかっただけだったのだ。


「びしょ濡れじゃないか」


 ボート乗り場の受付で釣り雑誌を読んでいたおじいさんは、上半身裸、下半身お茶浸しの僕を見て、びっくりしたように言った。僕は乱れた息を整える。やることはひとつだ。もう迷いはない。知ってるとか知らないとか関係ない、行動しなければ何も始まらないのだ。


「ヘイヘーイ彼女、お茶でもしな〜い?」


 上半身を心もち左側に傾けつつ右手を定年間近のクレーン車のような角度で差し出しながら僕は言った。おじいさんは雑誌を閉じ、ふふ、と笑って、「コーヒーならあるわよ」と言った。



「HEART IS THERE」from 『Non Fiction』
the pillows' brand-new single.

タイニー・ボート


 いつか必ず僕も経験できるはずだ、そう思い始めてはや十年、未だにデートをしたことがない。そもそもデートとはなんぞや。おぼろげにイメージはできるけれども、やはり未体験ゾーン、はっきりとしたデートの形はわからない。燕雀いずくんぞデートの志を知らんや。知ってる。燕も雀もデートを知ってる。庭先でチュチュチュンチュンと可愛らしくじゃれあうつがいの雀をよく見かけるが、あれはデートなのだろう。僕もその微笑ましい光景に混ざってデートを体験してみようと思い、まずボール紙を切ってクチバシを作り、穴をあけ輪ゴムを通し、できあがった模造クチバシを耳に引っかけて雀に擬態してみたら輪ゴムがこめかみの髪の毛に引っかかって殊に痛かったのでぎゃあぎゃあ騒いだりしてるあいだに雀はどこかへ行ってしまっていた。遠くのほうから楽しげな雀の鳴き声が聞こえる。うまい話なんてあったもんじゃねえな、と僕は呟いた。

 このままではいけないのである。デートの何たるかを知らないまま年をとってしまったら、いざデートに臨まん、という場面でしどろもどろること間違いない。気づいたらデートに巻き込まれていてこりゃヤバイ、心の準備ができてない、ガスの元栓も閉めてない、響き渡る消防車のサイレン、もしかしたらあれは僕の家に向かっているのではなかろうか、などと、やはりしどろもどってしまう。男たるもの堂々としていなければならない。胸を張り、背すじを伸ばし、顔をひっぱたき、塩を撒いて、待ったなし、はっけよい、デート。このくらいの心構えが必要なのだ。

 事前にシミュレーションをすればいい、デートせずに歳を重ねてはや十年、僕はそう結論した。未体験ならば、体験してしまえばいいのだ。簡単な理屈である。案ずるより産むが易し。さっそく僕はデートをしてみようとした。その辺を歩いているカップルを尾行し、彼らがどのようなデーティングをしているのか、見る。見て、自分も追体験する。完璧だ。隙のない作戦だ。さっそくサンダルをつっかけ、街へ出る。歩く。人々の視線が気になる。模造クチバシを装着したままだ。僕は焦ってクチバシを外そうとした。輪ゴムが髪の毛に絡んだ。激痛が走った。激痛を紛らわすために走った。叫びながら走った。それくらい痛かった。自転車に跳ねられそうになった。三輪車に轢かれそうになった。犬に吠えられた。ただ闇雲に走った。行きついた先は、公園だった。


「パーク。」


 僕は意味ありげに大して意味のない言葉を発した。乱れた息を整える。若い男女がそこかしこに歩いているのが見える。腕を組んでいるものがあれば、手を繋いでいるものもあり、指相撲しているものもあるし、むしろ相撲をとっているものもある。僕は確信した。ここが、あの、デート・スポットと呼ばれる場所なのだ。D・スポット。そのあまりにいやらしい響きから敬遠していたD・スポットに、いつの間にかたどり着いてしまうとは。もう後戻りできない。ここまでどうやって着たのかわからないから実際後戻りできない。覚悟を決めて、D・スポットに身を任せるのみだ。

 ある一組のカップルの女性のほうが、「あれ、乗ろ、乗ろ乗ろ」などとキャンキャン声で、ボート乗り場を指差した。公園内にあるちょっとした池に浮かべるボートを貸してくれるらしい。よし、と僕は思った。ボートに乗るのがデートなのだろう。語感も似ている。乗らない手はない。僕はカップルのあとについていった。カップルは手を繋いでいた。僕も誰かと手を繋いだほうがいいのだろうか。しかし相手がいない。ちょうどいいところにコンビニのビニール袋が落ちていたので、僕はそれを拾い上げ、優しく手を繋いでみた。なんとなくいい感じだ。地球にも優しい。

 ボート乗り場の詰め所にいたのは茶色い帽子をかぶったおじいさんだった。真っ白な髭が、まるでビニール袋みたいに顔の下部分を覆っている。はい、行ってらっしゃい、そう言って例のカップルを笑顔で送り出した彼は、順番を待つ僕を目にした瞬間、露骨に表情を曇らせた。


「ボートに、乗るのかい」とおじいさんは言った。
「乗らせてください」と僕は言った。


 彼は皺と目の境界線がわからなくなるくらい目を細めて、続けた。


「一人で、乗るのかい」
「一人じゃ駄目ですか」
「や、やや、駄目ってことはないがね」
「じゃあ乗らせてください」
「そのビニール袋は何かね」
「地球に優しい恋人です」
「優しいのかね」
「ええ、とても」


 おじいさんは溜息をつき、髭を撫でた。よく手入れされた髭だった。書初めができそうだ。


「お若い人、一人じゃつまらくないかね」
「デートの体験ツアー中なので、一人でいいんですよ」


 僕は彼に、自分がデートをしたことがなく、本番のデート時にしどろもどらぬよう、予行練習をしている途中なのだ、と告げた。おじいさんは驚いたようだった。三十年間貸しボート屋をやってきたが、お前さんのような人間は初めてだ、と言った。


「わかった、存分に乗りなさい。一時間七百円」
「金を取るんですか?」
「当たり前じゃろう。こっちだって商売なんじゃ」
「こっちだってデートなんだ」


 僕はおじいさんに百円硬貨を七枚手渡した。彼は僕にオールを貸してくれた。これでボートを漕ぐのだ。デート、ボート、オール。なんとなく語感が似ている。さすがD・スポットだ。この語感理論でいくと、おそらくボールを使ったデートもあるに違いない。夢が広がる。オールを振り回しながら浮き足立つ僕を見るおじいさんの表情は、さっきとはうってかわって、柔らかだった。さすがにオールがおじいさんの顔面に直撃したときは怒髭天を衝きかけたが、基本的には柔らかだ。


「お若いの、二人で乗れば割り勘で済むぞい」
「ビニール袋も勘定に入れていいんですか?」


 おじいさんは首を振った。鼻血が少量出ていて、遠心力で少々広がった。


「わしがデエトの予行演習に付き合ってやろう、と言ってるんじゃよ」
「えっ」
「お前さんを見てると、わしの若い頃を思い出すんじゃ。放っておけん」
「おじいさん……」


 まず僕が先にボートへ飛び乗った。着地の衝撃でボートが揺れた。なんとかバランスを取る。おじいさんは笑っている。「だぁいじょぉぶぅ? キャハ」と笑っている。デートっぽい。素晴らしくデートっぽい。俄然テンションがあがる。おじいさんに手を差し伸べる。さ、ゆっくり、怖くないから。女性役のおじいさんは内股でボートへ崩れこむようにして乗り込んだ。「きゃん」とか言う。デートっぽい。なかんずくデートっぽい。向き合って座る。膝と膝が触れ合う。視線が交差する。


「ちょっと、小さいね、このボート。窮屈だ」と僕は言った。
「小さいボートのほうがいい、って思える日がいつかくるわよ」とおじいさんは言った。


TURN BACK
「tiny boat」 from 『TURN BACK』
the pillows' self cover album.

カラフル・パンプキン・フィールズ


 かぼちゃが嫌いである。どのくらい嫌いかというと、それはもう筆舌に尽くしがたいレベルの嫌いっぷりで、理由なんてものはなく、ただ、そこにかぼちゃがあるから嫌う。食卓にかぼちゃの煮つけが出れば失神し、スーパーの野菜売り場に近づけば失神し、「シンデレラ」を読めば失神し、ハロウィンという単語を聞けば失神する。最近ではテレビから「加藤茶」と聴こえてくるだけで失神できるようになった。これはもう病気ではないか、と思ったりする。

 しかし僕は負けたくない。かぼちゃなどにいちいち失神していては、男がすたるというものだ。僕はかぼちゃが嫌いであるが、同時に負けず嫌いでもある。かぼちゃに高笑いさせたまま泣き寝入りなどできない。させてなるものか。かぼちゃ憎し。憎悪を力に変えるのだ。僕はさっそく自転車を駆りだし、かぼちゃ畑へ向かった。小学校の通学路沿いにあるこのかぼちゃ畑のおかげで、僕は何回失神し、何回頭からドブへ突っ込んだことか。今思い出しても腸が煮えくりかえる。かぼちゃのせいで僕は入学初日に皆勤賞を諦めざるを得なかったのだ。かぼちゃめ。僕の華やかなスクール・ライフ構想を奪ったかぼちゃ。憎し。憎し憎し。憎し憎し憎失神。

 待て! 失神してはいけない。僕はこれからかぼちゃに復讐するのだ。気をしっかり持て。目を閉じろ。ペダルをこく足に力を込めるんだ。そして念じろ。僕は昨日までの僕じゃない。僕はかぼちゃなんて恐れない。僕は強い男だ。かぼちゃがなんだ。ただの野菜だ。怖いことなんてない。そうだ、僕がかぼちゃのことを考えて失神する理由なんてどこにもないんだ! そう悟りを開き、同時に両目を開いた刹那、僕は素晴らしい勢いで電柱にぶつかり失神した。

 大丈夫ですか、という声が聴こえる。頭のてっぺんが痛んだ。視界がぼやけている。相当強く頭を打ったんだな、と思う。手でさすってみると、どういうわけかコブが二つできていて、僕はとっさにフタコブラクダの人生を思った。常にコブが二つある人生って、いったいどんな気持ちなのだろう。思春期のフタコブラクダは、鏡を見て自分のコブの小ささに溜息をついたりするのだろうか。「よし子ちゃんのコブに比べて、アタシのって、小さい……アタシなんて……」と劣等感に苛まれたりするのだろうか。でもコブの形や大きさなんてどうでもいいんだ、と僕は思う。大事なのは愛だ。大きさじゃない。よし子ちゃんのことなんか忘れて俺と付き合


「大丈夫ですか?」


 女性の顔がいきなりアップで視界に映し出されたので僕は驚いてのけぞった。いつもならのけぞりついでに壁に後頭部を強打するところだが、いつまでも昔の僕ではない。同じ過ちは繰り返さないのが僕だ。壁の代わりに電柱へ後頭部をぶつけた僕は「マパ!」と悲鳴をあげた。


「落ち着いて! 頭を打ってるみたいだから。救急車、もうすぐ来ます」


 女性は本気で僕のことを心配してくれているようだった。ついさっきまで何かの作業をしていたのか、髪は後ろで縛られ、服の袖はまくってあり、手には何かが抱えてられている。きっと僕がコブを作る様子を見て、慌てて駆けつけてくれたのだろう。待てよ、救急車? なぜ僕は救急車で運ばれようとしているのだ? そもそも僕はなぜコブを二つも作っている? 思い出そうとするとコブが痛み、ゴビ砂漠のど真ん中でM字開脚をしながら発情しているフタコブラクダのよし子ちゃんの映像が僕の頭を支配した。よし子ちゃんのコブは実に魅力的だ。他のメスフタコブラクダが嫉妬に悩むのもわかる気がする。大きいだけじゃなく、美しいのだ。こんなに完璧なコブを僕は見たことがない。僕のコブは彼女のそれと比べて不細工だった。僕は嫉妬し、勃起した。

 だから違う、思い出せ、なぜ僕はフタコブを作るほどの勢いで自転車から転げ落ちたのだ? きょろきょろしながら救急車を待つ女性を見つめてみる。彼女は僕の視線に気づくと、にっこりと笑顔を浮かべた。その笑顔は美しかった。よし子ちゃんのコブと並ぶほど、いや、コブなんて霞んでしまうくらい輝いていた。それを見て自分が何をしようとしていて何でコブを作って何でよし子ちゃんに欲情していたのかなんてどうでもよくなってしまった。彼女がかぼちゃを抱えて微笑んでいてくれるだけで僕は安心できた。深緑色に熟したかぼちゃは彼女の暖かさを連想させ――かぼ、ちゃ? かぼちゃ? 脳が動き始める。かぼちゃを指差し、最高速度を刻むメトロノームのように震える僕の様子を見て、彼女は「あちゃっ」と舌を出し、おどけた。


「いっけない、かぼちゃの収穫してたからついつい持ってきちゃいましたよ。焦りすぎ。わたし、そこの農家の娘なんです。うちのかぼちゃ、美味しいんですよ――きゃっ!」


 奪った。かぼちゃを。素早く。そして思い出す。そうだ。僕はフタコブラクダに欲情するために自転車をこいだわけじゃない。かぼちゃに復讐をするのだ。かぼちゃ。かぼちゃを。破壊するのだ。かぼちゃに手で触れている現実が、すぐさま気を遠くさせる。耐える。コブが痛む。関係ない。フタコブラクダはいつもこの痛みに耐えているのだ。奪ったかぼちゃを放り投げる。高く。遠く。そして走る。かぼちゃが飛んでいった方向へ走る。全身の力を一瞬に懸けろ。落ちてくる。かぼちゃが落ちてくる。よし子。呟く。よし子。呟く。よし子! 叫び、跳ぶ。かぼちゃを、蹴る。

 折れた足首の応急処置を施されながら、そういえば、救急車に乗るのは初めてだ、と気づく。救急隊員が色々と訊いてくるが、まるで耳に入らない。僕はかぼちゃに負けたのだ。完膚なきまでに叩きのめされた。あの女性が、心配そうに車内を覗き込んでいる。僕が敗北したかぼちゃを抱きかかえながら覗き込んでいる。彼女は、「うちのかぼちゃ、美味しいんですよ」と言った。きっとそれは本当なのだろう。僕の足首をへし折るほど中身の詰まったかぼちゃだ。美味しいに違いない。怪我が治ったら、一度、かぼちゃを食べてみるのもいいかもしれない。そのときは、あなたのかぼちゃを――僕が言い終える前に扉は閉められ、けたたましいサイレンとともに救急車が動き出した。救急隊員が「食べ物を粗末にしちゃ駄目だよ」と言った。僕は苦笑した。


ホワイト・インカーネイション
「カラフル・パンプキン・フィールズ」 
from 『WHITE INCARNATION』、the pillows' 4th album.